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日本史を歩く

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【『日本史を歩く』感想文 一般 最優秀作品】

先人たちの歩みから教訓を引き出せる本

久野 潤

本書「はじめに」で、我が国の歴史を学ぶ・感じるうえで同時代史的視点と『古事記』『日本書紀』の重要性が述べられている。そして「本書は、神話の世界から日本史を歩いていくことにします」(3頁)と目にして、大方の読者はふと気付くであろう。自国の歴史についてほとんど考えることのなかった方はもちろん、「日本に誇りをもとう」「大東亜戦争は正しい戦争だった」といった主張をしている方でも、なかなか神話の世界から「歩いて」ゆくことはない。同時に、そもそも日本の歴史というものは巷の教科書的な通史ではなく、『古事記』『日本書紀』の内容も含めた先人たちの歩みに他ならないということ。そのことを踏まえ直したうえで日本史と向き合うことを本書は冒頭で求めているのである。

一般教科書ではいわばもっとも原始的な時代=i「歴史」が始まってすぐの、人間が進歩していない時代)として年表のいちばん最初に出てくる縄文時代。本書では逆説的に「科学や文明の利器が何もなかった縄文時代は、人の心が最も豊かに流れていた」(39ページ)と評されている。とすれば近代以降今もなお近代的/合理的なもの以外に確かな価値を見出す日本人の源流がまさにここにあるということが改めて考えさせられる。

それに続き弥生時代、稲作を通して「協力作業や、用水路を共同管理することによって村に約束ごとや決まりごと、そしてお互いが守るべき道徳も生れたに違いありません」(43ページ)。そして「水をきれいに使って、相手を思いやる習慣も、弥生時代に生れ育った」(同)ということで、今も引き継がれる日本的作法については自然環境により形成されたものは縄文時代に、そしてそれに加え共同体での生活を通して形成されたものは弥生時代にもたらされたことが分かる。

『日本書紀』では神武天皇が皇紀元年に橿原都を建て日本という国家が成立したことになっているが、本来「日本史」というならばここが起点となっていなければならないのが当然である。ところが一般の教科書はこれを日本建国と位置付けないばかりか、神武天皇即位についてさえ触れない。よってたとえば祝日である2月11日「建国記念の日」(旧「紀元節」)について、国民の大半はそもそも何があった日なのかも知らないまま過ごしている(でも仕事は休んでいる)ことになる。私は人生の半分にあたる幼稚園〜高校時代を奈良で過ごしたが、橿原宮があったと伝わる地に創建された橿原神宮の名称は知られていても、その由緒や建国の話自体について学校で習うことすらなかった。そして橿原宮についてのコラム(49頁)で触れられていたが、遺構から出土した樫の根を科学的に年代測定したところ『日本書紀』が伝える建国の時期と一致したという。我が国に伝わる神話がその記述年数なども含め一笑に附すことはできない所以であるとともに、我々の先人たちの口伝による内容の確かさがうかがえる。「その緊張感が、日本を日本たらしめ、日本人を日本人たらしめてきたのではないか」(19頁)というのは、その通りであろう。

しかし世間では、私が小学生の頃にも「邪馬台国はどこにあったか」といった議論ばかりがTV番組や論壇を賑わせ、弥生時代といえば「卑弥呼」の時代とばかりに教科書や歴史本には書かれてきたものである。本書にあるように魏志倭人伝は「歴史資料に全く値しない」(55頁)ときっぱりはねつけ、天皇中心の歴史を我々自身の意志で取り戻さねばならない。

天皇中心とはいえ強権的圧政が行われたわけでは決してなく、「各氏族が祀っていた氏神さまをお連れして、宮中でお祀りしてきました」(54頁)、そしてだからこそ天皇制度も続いてきたという捉え方でなければ、この2600年以上続いてきた天皇の歴史、そして国民の象徴でありつづけてきたことは説明がつかない。仁徳天皇による三年間免税の詔の話(58頁)も、日本国民にとって天皇がいかなる存在であるかを理解するのに避けて通れない。

最近大東亜戦争中の戦闘や人物をテーマとした映画が立て続けにヒットし、「日本をまもった/まもろうとした人物」「気高い日本精神を示した人物」がクローズアップされている。そういった人物は古代にも存在しており、代表格が和気清麻呂(75頁)と菅原道真(76頁)である。特に前者が皇統護持に果たした役割を今の教科書はほとんど伝えない。日本史の授業で人物の事蹟を教えるのも、先人たちがどのように日本をまもってきたか、そしてどのように日本精神が形成され継承されてきたかを学び、また伝えてゆくためであるはず。子々孫々「日本」を伝えてゆかなければならない、言いかえれば親の世代から子の世代へと伝えるしかない――山上憶良が子供以上の宝物はないと詠んだ歌(81頁)も、そういう観点から噛みしめる必要があろう。

和気清麻呂と並んで特に戦前の歴史・道徳教育で重視されたのが楠木正成(91頁)と聞く。湊川の戦いにせよ、現代日本の功利主義的な感覚だと「負けたから意味がない」と一蹴されてしまいそうである。しかし我が身の犠牲をもって子にその忠節を伝えるということの価値が分からないということは、先述の親から子へ「日本」を伝えることの尊さも分からないのではないかということが筆者の文章と向き合うことで見えてくる。

またこれも最近、特に戦国時代や幕末の歴史に興味をもつ女性を「歴女」と称するようであるが、戦国時代(〜安土桃山時代)は彼女たちの興味対象である国内の合戦(あるいはロマン?)が華やかであった以上に、「仏教とをカトリックに改宗させようとする宣教師を迫害する者は、武力で殺す事を『正当』だと言い切った」(107頁)ポルトガルやスペインを向こうに回しての国際的な対立構造をもった時代でもあったことが分かる。一般教科書ではヨーロッパ諸国は幕末までせいぜい貿易相手国でしかないが、すでに熾烈な情報戦などが行われており、朝鮮出兵もその一環であったことは踏まえておかねばなるまい。

そしてこれは最近だけではないが、歌舞伎でも映画でも『忠臣蔵』は日本人の間で大人気である。しかしその実相(126頁)としては尊皇の志士による義挙という側面があるという。目下それが覆い隠されてしまっているのは、戦後しばらくGHQに公演中禁止を命じられた余波であろうか。

江戸幕府に対する倒幕の動きは、国内的に幕府の天皇・朝廷への横暴(111頁〜)とそれに対する尊皇思想(124頁〜)、対外的には欧米列強の東アジア進出(129頁〜)が背景となっている。つまり本来の「国のかたち」を蔑ろにし、対外的脅威に有効な手立てを打てぬ政権はもたないという示唆である。現在の国民が、まさにそのような体たらくの民主党政権を自分で選択してしまったとすれば、国難に立ち向かう英知を改めてこの時代からも学び直さねばなるまい。

さて明治維新により近代化に邁進する日本、これも一般教科書ではひたすら欧米諸国の文化・技術を取り入れて追随するかのような描写が目立つ。しかし実際は大日本帝国憲法に見られるように、「憲法も政治の形も日本に息づくものにする事が必要」(153頁)と考えられ、その根本思想ははるか『古事記』『日本書紀』に根付くものであった。当時隆盛を極めたどのヨーロッパ諸国もかなわない悠久の(連続した)歴史をもつ我が国は、彼らとあえて″痩ニ運営についての作法を共有する際に近代憲法というものを作ったということになる。これは「世界最古の成文憲法」十七条憲法(62頁)ですでに建国以来続いてきた徳治について明記され、さらに建国以来その国体(天皇の存在)がずっと続いてきているという話とリンクする。明治の心ある先人たちは、西洋列強に臆することなく「日本」という国に誇りをもてていたに違いないと察せられる。同時期に起草された教育勅語が戦後も諸外国で評価・実践されている(155頁)ことはその精華の一つである。

日清・日露戦争の過程における日本含めた関係諸国の動向は、当時の朝鮮国内に旧態依然と「あくまで清王朝を宗主国と仰ぐ」(159頁)勢力、はたまた「ロシア公館内に新政府を置い」(162頁)てしまうような勢力が存在していたという構図を前提とせねば理解できない。今では当たり前である「独立自尊」の近代国家建設を目指した日本と、周辺諸国との歩調はなかなか合わなかったのである。それは日韓による朝鮮統治の意義(201頁〜)と併せて読めばよく分かる。

日露戦争においては、旅順要塞を攻略した乃木希典将軍や日本海海戦を大勝利に導いた東郷平八郎連合艦隊司令長官がもちろん有名である。しかし彼らがどういう精神性を後進たちに示したか、たとえば乃木が「高潔なる国土、連綿たる皇統のもとに生を享けても、その国土、その大愛に馴れると自主独往すべき根本精神を忘却し、いたずらに付和雷同して卑屈な人間と堕する者が頻々として続出する」(191頁)と訓示したことなどはもっと教科書などで知られてもいいはずである。先人たちが有事に際して国をまもると同時に、どのような志で日々事に当たっていたかをくみ取るのも、歴史を学ぶ大切な意義であろう。

昭和戦前期については、一般教科書では日本の「軍国主義」などに焦点が当てられているが、本書を読めばその動向はコミンテルンの存在を抜きには語れないことが痛感できる。共産主義勢力の東アジアへの浸透は満州国の建国(206頁〜)の一背景となっていることも、賢明な読者には推察されるであろう。

大東亜戦争の原因を論ずるとき、一般教科書のみならず多くの歴史書がほとんど例外なく日本軍の「侵略行為」を強調し、「アメリカはどの時点で日本の侵略を見過ごせなくなり、対日開戦を覚悟するに至ったか」といった議論を繰り返している。もしフランクリン=ルーズベルト大統領がもとより日本を締め上げる、あるいは国際的に孤立させる遠大な意図をもっていたとすれば・・・といった仮説は従来なぜか避けられてきた。しかし実際は「昭和十五年から日本は米国という蜘蛛の巣にかかった虫であった」(220頁)、もといそれ以前からコミンテルンの工作活動も連動して対日強硬策をとっていたことがその後の行を読めばうかがえる。

「大東亜戦争で、日本は言わば肉体をやられた。GHQの次の目的は日本人の精神を完全に潰して、日本人を腑抜けにしてしまう事であった」(248頁)そしてGHQに「コミンテルンの工作員も入っていた」(同)とすれば、コミンテルンの工作に操られたアメリカとの戦争に力を費やし、ついに戦前・戦中期において共産主義勢力そしてコミンテルン本体に有効なダメージを与えることができなかったことが何より悔やまれる。自らの肉体を犠牲にしてまで、大東亜戦争で「アジア、アフリカの植民地諸国に、独立の動き」(235頁)をもたらした日本。しかし戦後独立したアジア諸国(中華人民共和国含む)の一部にはソ連崩壊後の今も共産主義政権が存在し、日本の安全のみならずアジア全体の平和を脅かしている。冷戦中多くの人命が犠牲になった朝鮮戦争やベトナム戦争、ポル=ポトの虐政なども共産主義が深く関係している。思想の左右を問わず議論される「あの戦争は正しかったか」よりも、「アジアの、世界の平和にとって本当の敵は何であったか」こそが今問い直されるべきではないだろうか。東京裁判(262頁〜)の再検証にもその視点は不可欠である。

さて最後に、通読して気付くところを三点ほど挙げ、それについて所見を述べつつ筆をおきたい。まず本書には歴代天皇の名前が全部記されている、これは年表仕様の歴史書でもない限り今や珍しいことである。145〜146頁にまとめて書かれてあるだけではなく、時代ごとに――一般教科書ではもっぱら幕府側の動向しか書かれていないような時代においても機を見て書かれているのである。これは建国以来、実際の政治権力の所在とは別としても我が国の歴史は天皇中心であるということを常に読者が意識する助けとなろう。

次に、これも一般教科書では手薄となりがちな個々の人物の描写が詳細で活き活きとしていることである。先に触れた日露戦争の両軍人もそうであるが、たとえばなぜ二宮金次郎が銅像となって今も尊崇を集めているか、思想的な点も含め本書を読んで初めて知ることになる方も多いのではないか。

さらに、この長い日本史における数々の事件・事象こそ今の国難を乗り越えるための教訓となっていることを本書は教えてくれる。本書刊行の直後に発生した東日本大震災を予見するかのように盛り込まれている「稲むらの火」の話(134頁)。そして対外関係においては新羅による熊襲への反乱示唆(57頁)、聖徳太子が主導した隋との対等外交(64〜65頁)、イギリスの主権侵害に対し藤田東湖が父幽谷から成敗を命じられた件(128頁)、日本と国交が開かれたものの独立の気概なく自国志士を惨殺する朝鮮(159頁)――これらは現代においても近隣諸国をどう捉え、どう付き合ってゆくかを考える際に避けては通れない史実である。渡辺利夫拓殖大学学長は、極東アジアの国際関係を考えるうえで「日本の近現代史を、教訓を手にすることができるような形で『再編集』しなければならない」(『新 脱亜論』)と述べている。本書は近現代史のみならず我が国の通史すなわち先人たちの歩みが、あらゆる教訓を引き出せるように「再編集」されている。日本人が学ぶ日本史は、細かい人名や年数を覚えるためだけにあるのではない。国難を乗り越え、自国の誇りを取り戻すためには今からでも遅くはない。若者だけでなくあらゆる日本人が本書を手にして、「史実に沿って日本史を歩」(294頁)いてみてくれることを切に願う。

 

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