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神々の試練
世界のシャーマンに認められた男
― 少年期・青春期1 ―
(ワン コイン ブックス 1)

神々の試練

ISBN978-4-88471-435-2
著者 杉本錬堂
定価 本体500円+税
文庫判 ソフトカバー 112ページ

本書はワン コイン ブックスとして発刊しました。
その1として、杉本錬堂の― 少年期・青春期1 ―が掲載されています。
ひと言で「本当に面白い」です。
そしてシリーズを読み進んでいく過程で、杉本錬堂氏との出会いが、人生の意味を考える上でひとつのヒントになるのではと思っています。
是非、シリーズをご期待ください。

ワン コイン ブックス とは、手軽に錬堂ワールドを楽しんで頂ける本として、錬堂氏自らが著してシリーズで発刊していきます。

杉本錬堂(すぎもと れんどう)
1950(昭和25)年 静岡県伊東市生まれ 。
海上自衛隊を経てパティシエとなり『菓子の木』を開業( 27歳)。45歳から天城流湯治法としての健康法及び温泉療法をまとめ始める。
2001年、NPO法人錬堂塾を設立。2007年(57歳)1月から全国行脚を開始、4月にはペルーで開かれて世界民族長老会議に日本からのオブザーバーとして参加。
現在は、天城流湯治司として世界を股にかけ年間300日を超える旅を続けている。
書籍 『湯治エクササイズ』bio magazine 発行
『神業 世界中の凄腕の治療家達が認めた天城流湯治法とは?』

― 少年期・青春期1 ―

はじめに
1950(昭和25)年1月15日生まれの私が、年間300日を超える旅を、何故をしているのか?
世界を何故? 旅しているのか?
そして奇妙な出来事に縁をしているのか。
幼少時代から青春期まで様々な病魔に苦しめられ、虚弱な身体を引きずり18歳で海上自衛隊に間違って入隊。身体は強健になった……。
自衛隊の任期を終え、風来坊……。
一転してフランス菓子の世界に。
中年になって突然、温泉療法を始め、そして、今、シャーマンの世界に足を踏み入れている。
それを人は必然と呼ぶが……神々のいたずらなのか?
それとも……「神々の試練」なのか?
「濁流に、流されながらも……生きている」
行先は誰も判らない。
これまでの63年間の出来事を書き綴った。

杉本錬堂

目 次
はじめに
第一章 少年期
牛小屋で生まれた少年
親父と炭焼き小屋
長生き出来ないと言われた
不思議な事 少年期の怖い話
手製のヨットで海に出る
生まれて初めて出会ったシャーマン
第二章 青春期1
サーファーを目指す
弱虫中学生
無免許事故
事故の後、学校で……
初めての裁判所
減らず口の高校生
虚弱児の弱虫が海上自衛隊入隊
自衛隊で得たもの……

ワンコインブックスはQRコードで関連の写真を見ることができます。

内容をちょっぴり紹介しましょう。

牛小屋で生まれた少年
私は、1950(昭和25)年1月15日、静岡県伊東市宇佐美で生まれた。生まれたのは田んぼの中にあった牛小屋だったらしい。
なぜ田んぼ中なのかと言うと、両親は神奈川県の大船の駅前で太平洋戦争中パン屋を営業していて、運よく? 昭和19年に1回目の横浜空襲で命はあったものの、店を焼かれて命からがら親父の生まれ故郷である宇佐美に疎開した。……

長生き出来ないと言われた
問題は健康だった。小学三年生の時、いつも顔がむくんでいた私を母が心配して病院に連れていってくれた。
その病院はとても怖い女医さんだけど……名医で地元でも有名だった。
背は150センチぐらいで、ずんぐりむっくりしていて大きくなく……骨格も女性的ではなく、顎が張っていて、唇は厚く、耳が尖っていて声も低く、その女医さんが胸に聴診器を当て、あちこちの音を聞き聴診器を耳から外しながら無造作に一言、
「この子は心臓が悪い。心臓弁膜症だから、長生きしないよ」
と言った。……

生まれて初めて出会ったシャーマン
1960(昭和35)年、10歳の時だった。この頃は実家のパン屋は繁盛していて、色々な人が我が家に出入りしていた。
玄関の階段に腰を掛けて、遠巻きに見ていたら、おじいちゃんが空になったレモネードのコップを持って立ち上がった。同時にその浅黒い「怖い……男の人」も立ち上がった。その姿を見て更に驚いた。見上げるような背の高さだ。
「生まれてから、こんな大きな人、見た事がない」
彼はその大きな身体でのしのしと歩きながら、僕の前に立った。そして僕の頭を……その大きな手で押さえつけ、低い響く声で、
「お前はRAVEN、今は小さいけど、そのうち、その大きな羽で世界を飛び回るだろう」
と言ったそうだ。
その時そのシャーマンが書いて渡してくれた「大ガラスの絵」は中学卒業まで持っていて自分のトレードマークにしていた。……

自衛隊で得たもの……
3年経って、任期満了除隊願いを出していた。
「すぎもと 考え直す気が無いか」
心が動揺したが……黙っていた。(そして辞めた)
確かに3年の間に教育隊の4ヵ月、電機の学校の6ヵ月 潜水艦の学校が6ヵ月と、計1年半は教育機関だったので、自衛隊にとっては割の合わない隊員なのだ。
だが、今、振り返ってみるとこの自衛隊生活が無ければ「今の私はあり得ないと思う」……

 

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