縄文人の日本史 復刻版  縄文人からアイヌへ

  

令和7(2025)年7月12日 発売

  

日本民族がどこからやってきたのかが、明らかになってきた。

  

復刻版の「はじめに」より

  

幣著の初版発刊は令和元年9月。

当時の学者たちは「日本民族が北方から入ってきたのは絶対に間違いない」

と言い切っていて、それは学会の結論だとも書いていた。

  

それに対して幣著では、南方渡来説を唱えていた。

ほとんどの方からご批判を頂いていた。

それにめげずに、日本民族のご先祖様は南方からやって来た。

他からの進入ルートはなく、つまり完全な単一民族であると論を展開していった。

  

令和2年になると、東京大学・東京大学大学院・金沢大学の合同研究

『縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史』では、

「現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々は南ルートでやって来た」

と発表されることになった。

  

ついに北方進入ルートが否定されたのだ。

「南ルートからやって来た人もいる」のではなく、

「全ての人々が南ルートでやって来た」のである。

  

また、平成当時は多くの学者がアイヌは縄文人の子孫ではなく、

日本民族とは別民族の北方民族であると説いていた。

  

これに真正面から反論したのが幣著『縄文人の日本史』である。

そして、この学者の認識も令和になると完全にひっくり返る。

  

令和7年3月15日から6月15日まで開催された「古代展」(国立科学博物館)では、

これまでの認識が誤りであったことを率直に認めている。

  

この古代DNA展で掲示された

「DNAが語るアイヌへの道すじ」という説明文では次のように書かれている。

「これまでアイヌは日本列島の周辺で孤立して成立した集団

という見方をされてきたが、それが誤りであることも明らかとなった」

「アイヌは縄文人に最も近い集団である」

  

しかもその説明文には、「DNA分析が進んだことで、

彼らは北海道の縄文人をベースとしながら、その後の歴史の中で、

本土日本や沿海州の集団からの影響も受けつつ誕生したことがわかってきた」

と書かれている。

  

正に幣著『縄文人の日本史』に書いたことと同じことを言っているのである。

この説明文を目にした時には、ようやく幣著が正式に日の目を見たような感動を覚えた。

これからもっと多くの方々に正しい歴史が広がっていくことを切に願っている。