蒙古(モンコ)の子守唄
978-4-88471-469-7
著者:三上洋右(みかみ ようすけ)
定価:1,540円(税込)
46判 ソフトカバー 368ページ
蒙古(モンコ)の子守唄
二つの忘れもの ~ 旅のはじめに
私が津軽を離れ、札幌市民となったのは昭和40(1965)年である。すでに半世紀を超えているのに未だに故郷が懐かしく、生まれ育った町並みや駆け回った野山を克明に思い浮かべることができる。生まれ故郷が逆に札幌だったなら、今度は札幌が懐かしくてたまらなくなるのであろう。
「故郷忘じ難し」。それは、人間が持っている根源的な感情に違いない。
ある日、私は、そんな大切なはずの故郷に2つの謎を置き忘れたままであることに気付かされた。
その1つは「蒙古(モンコ)の子守唄」である。津軽地方だけに伝わる子守り唄である。
もう1つは、古老から教えてもらった話である。「昔、鎌倉時代の頃、十三湊(とさみなと)を拠点として、日本海を股にかけて国外にも進出していた海の豪族、安藤水軍があった。十三湊は西の博多に匹敵するほど繁栄した港湾都市だった」
というものだった。
しかも、今泉やその周辺の人は皆、安藤水軍の末裔だというのである。その話は、自分の祖先は海賊だったと言われたようで、子ども心にもかなりのインパクトがあった。
ということで、2つの謎解きの旅が始まる。
それをまとめたのが本書であるが、著者は、同書の帯に次の言葉を記した。
鎌倉殿の時代、
日本海を舞台にもう一つの壮大なドラマがあった。
蒙古襲来と安藤水軍!太宰治の先祖は対馬の流民?
時空を超え、今解き明かされる謎の子守唄。
ルーツを探る旅は、何故か心に響いてくる。
「蒙古(モンコ)の子守唄」がQRコードから聞ける
津軽には、昔から「蒙古(モンコ)の子守唄」あるという。その出身者に聞くと、覚えているという。生まれてから誰もが聞いて育つので、この子守唄に何故「蒙古」が歌われているのか、疑問を持つ人はいなかったのだろう。
ところが著者は「何で津軽に蒙古の子守唄があるのか」を疑問に感じたという。謎を解き始めて動き出すと、いろいろと分かってきた。
謎解きのめぐり逢いは、不思議なところで結びつく。 著者は、対馬に行った時に、その謎と結びつくきっかけを得た。そこから謎を解く旅が始まる。津軽には「対馬」姓が多い。太宰治のルーツもまた対馬あることが分かってきた。
最終ページに「蒙古(モンコ)の子守唄」の歌詞、楽譜を掲載、実際の唄を、GRコードで聞けるようになっている。
目次
二つの忘れもの ~ 旅のはじめに
序章 寝んねば山がら蒙古来るぞ
第一部 幻の水軍 津軽安藤氏の興亡
第一章 奥州の夜明け
第二章 津軽安藤氏の誕生
第三章 陸の覇者・海の支配者
第四章 幻の国際港湾都市
第五章 津軽に残る唐糸御前伝説
第二部 対馬と津軽の縁(えにし)
第一章 太宰治と津島家
第二章 太宰治の苦悩の軌跡
第三章 蒙古襲来(元寇)と対馬の真実
旅のおわりに
著者
三上 洋右(みかみ ようすけ)
1945年(昭和20年)11月10日、青森県北津軽郡中里町(現:中泊町)生まれ。
青森県内潟中学校卒業後、中里営林署で山仕事に従事。
1965年(昭和40年)5月、19歳で青雲の志に燃え渡道、札幌市民に。
24歳で株式会社日天タイル工業を興し、代表取締役に就任(平成6年退任)。
社業のかたわら、青少年育成委員、民生児童委員、町内会長、東月寒中学校PTA会長など、数々
1991年(平成3年)4月の選挙で雪辱を果たし初当選。以後8回連続当選。6回目の選挙の得票数20、898票は、政令市移行後の市議選史上最多。現在8期目。
2018年(平成30年)3月、北海道科学大学大学院工学研究科修士課程修了。
現在は、さっぽろ自民党顧問、市議会自由民主党議員会顧問、自由民主党北海道第三選挙区支部幹事長、自由民主党北海道札幌市豊平区第四支部支部長、社会福祉法人万葉閣理事、豊平区少年野球育成会会長、札幌女子サッカー連盟会長、札幌柔道連盟顧問として活躍中。
著書『この指とまれ』『宿命への挑戦』『権力と富の分配』『幸運を呼ぶ名づけ方』『五洲第一の都 さっぽろ』