自決より五十年 三島由紀夫と「楯の会」 「後をたのむ」と託された思い
ISBN9784884718190
著者:松浦芳子
定価:1,540円(税込)
46判 ソフトカバー 320ページ
外交評論家 加瀬英明先生 推薦 実際の交流を通して感じた等身大の三島由紀夫氏を、女性ならではの素直な視点で綴っており興味がつきない。著者の夫君で「楯の会」初代学生長であった持丸博(松浦博)氏にも触れているが、当時を克明に描いており、歴史的に貴重な資料となっている。
目 次 新装再版にあたり 『今よみがえる三島由紀夫』はしがき(平成二十二年)より 一、自決より五十年 二、幼子のような三島由紀夫 三、きらりとひかる武士のまなざし 四、さむらい「三島由紀夫」と「楯の会」 五、森田必勝のこと 六、自決 七、あれから四十年 八、松浦博(旧姓持丸)― 松浦芳子 対談 あとがきに代えて 最後に……幻の血判状を公開したわけ
「新装再販にあたり」より
三島先生は、男の美学、死の美学をいつも語っておられましたので、いつかは何かをされるだろうと思っていましたが、憲法に体当たりして、東京裁判の行われた市ヶ谷駐屯地の講堂の上の総監室で、まさか森田さんと共に自決されるとは、まったく思ってもみませんでした。
あどけない笑顔が可愛い、純粋そのものだったあの森田さんが、壮絶な死を選び二十五歳で逝ってから五十年の歳月が経ってしまいました。
三島先生は何一つ無駄のない生き方をされていました。『天人五衰』の最後のページには、昭和四十五年十一月二十五日(完)とありますが、「(完)」と筆を入れた時は、どのようなお気持ちだったのでしょうか。
自分の人生の「人生劇場」の脚本を自分で描き、脚本通りに行動し自分で幕を引いたのです。まさに“超天才”ともいえるのではないでしょうか。
その脚本では、持丸博も大切な役割を演じていますが、事件当時もなお持丸が学生長を務めていたら、別の結末になっていたかもしれません。持丸から二代目学生長を引き継いだ森田さんは、三島先生の脚本に必要不可欠な役だったのでしょう。
森田さんの辞世の句は、
「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」
でした。森田さんの遺影にも使われている制服の写真は、凄味があり、死を覚悟した男の目です。それでも私は、笑顔の森田さんしか知りませんでしたから、今回は、森田さんの笑顔の制服姿を表紙に載せました。
10年前の本を新装再販 平成22年、時が経ち実際の先生たちとはかけ離れた三島像、森田像だけが後世に残っていくのではないかと危惧し、先生の行動の「意味」を改めて思い返しながら当時の様子や思いをまとめて『今よみがえる三島由紀夫』を出版。
それから更に10年。50年という節目に当たり、関わりの深かった方々のご寄稿「三島先生から遺書を託され、事件当日は先生の寝室で涙ながらに遺書を読んだという楯の会二班班長の本田清氏(旧姓倉持)」。「『楯の会って何?』という方のために、初代学生長を務めた持丸博による解説」。「当時、早稲田大学学生連盟議長であった鈴木邦男氏」。そして「三島先生から『威』の字を頂いた私の息子が、森田さんの血染めの鉢巻と楯の会の制服を手にした時の様子を記した手記」等を加えて、新装再販した。
出版社より 昭和45(1970)年11月25日、三島由紀夫が自決して50年が経つ。「なぜ三島は自決しなければならなかったのか」。たやすくできることではない。それだけに、そこに関心がいく人も多いと思う。しかし、何より重要なことは、三島の自決を単なる出来事ではなく、我々日本人が日本国民として、日本のためにどう生きていのかを問うて、それで気づいたことを生活の中で日々生かしていくことではないだろうか。本書は、著者をはじめ三島と深く関わった人達の証言なので、外交評論家加瀬英明氏の推薦文にもあるように「女性ならではの素直な視点で綴っており、当時を克明に描いており、歴史的に貴重な資料となっている」。
松浦 芳子(まつうら よしこ) 昭和 23 年生まれ。東京家政学院短期大学卒業。東京慈恵会医科大学教授秘書後結婚。学習塾経営。CSTV日本文化チャンネル桜創設発起人。元東京都杉並区議会議員(16 年在籍)。草莽全国地方議員の会会長。日本会議東京都本部理事。NPO 法人日本児童文化教育研究所副理事長。建て直そう日本女性塾幹事長。二男二女の母。